明日からがんばる!

今日はもうねる!

とにかく書きなぐったもの

 最近ボールペンでチラシの裏に駄文をごりごり書くことにはまっているのですが、今使っているボールペンは先が細くてちょっといいやつなので、あんまり無茶な書き方をしすぎてあんまり消耗させたくないです。消耗といえばあれです、まだ東京で消耗してるの???とかゆうブログを思い浮かべます。ところでぼくはいまちょうど東京で消耗しているので、その問にはイエスと答えねばなりません。なぜ消耗しているかというと、諸事情によりワンルームのアパートに二人で寝泊まりしているからです。あと人が多いことも僕を消耗させます。いえ、田舎のショッピングモール程度の人波と言えないような人数でもほぼ同じくらいのきつさを感じるので、だったら都会にいても田舎にいても消耗の度合いはそこまで変わらないんではないかということになります。消耗については都会とか田舎とかはあんまり関係ないっぽいです。強いて言うなら生きることが消耗であり人間との接触が消耗です。どこにも逃げ場はありません。人の多さや声の大きさなどにも多少は影響されますが、その差もあまりないです。学食の喧騒も図書館の本のページをたぐる音も、どちらも同様に僕を消耗させます。というかむしろ後者の方が、周りが静かな分、音が強調されるのできついかもしれません。人間についても同じで、都会の雑踏もしんどいですが、さみしい田舎道を歩いているときにすれ違うおじいうさんおばあさんから受けるプレッシャーも相当なものです。集団よりも個人と接触することの方が辛いということでしょうか。訊くなよ。

 まあでも田舎の静かでだだっ広い道を車でのんびり走るのはわりと好きです。春から秋にかけての山の景色なんてちょっとした観光地にしてしまえそうです。そして田舎にずっと住んでいる人たちにとってはこれが当然の風景なのであり、ということはこのローカルな山の美しさを知っているのは僕だけであり、そのような身勝手な断絶を一人で楽しんでいるわりと救いようのないだめなのがわたしです。

 

 僕は普遍的な正しさにはわりと興味がなくて、自分が納得できることがいちばん大事というか、自分が納得できればそれでいいやみたいなことを思っている節があります。理系はもちろん文系も、というか学問に向いてない人です。一人とかちょう好きです。でもその一人を楽しむやり口にはある構造的な問題があって、けっきょく他者を必要とせざるを得ない部分もでてきます。それは人間は一人で生きていくことはできないというものすごくつまらない事実に依っているのでとてもだるいです。

 そう、だるいんですよ。なんか4年くらい前からずっとプールで3kmくらい泳いだ後のような疲労感が常時ぼくの体の芯から末端まで滞留しています。これはかなりしんどいことです。しかもだるさは極まると痛みに進化するので毎日が苦痛です。でも死ぬのはこわいしせっかく生まれたのに死んでしまうのはなんかもったいないとも思うのでなんとなく生きています。なんとなく生きられる程度の苦痛なのかと言われればそうです。しかし常時毒のダメージを受けていて寝ても休んでも決して治らない状態なので地味につらいです。そして肉体と精神は不可分なので肉体がつらいと精神もつらくなります。だるいとやる気もなくなります。あと僕は姿勢が悪いのでずっとパソコンに向かっているとひじょうにつかれます。具体的には肩が張っておしりが痛くなって腰が重くなります。つかだるい原因ぜったいこれだろ。

プライバシーポリシー

個人情報の管理

本サイト(http://happy-valentine.hatenablog.com/)(以下、当サイト)は、お問い合わせいただいた内容についての確認・相談、情報提供のためのメール送信(返信)の目的以外には使用しません。また知り得た個人情報を第三者に開示することは、警察・裁判所など公的機関からの書面をもった請求以外に一切利用いたしません。

 

当サイトに掲載されている広告について

当サイトでは、第三者配信の広告サービス(GoogleアドセンスAmazonアソシエイト)を利用しています。このような広告配信事業者は、ユーザーの興味に応じた商品やサービスの広告を表示するため、当サイトや他サイトへのアクセスに関する情報 『Coolie』(氏名、住所、メール アドレス、電話番号は含まれません) を使用することがあります。またGoogleアドセンスに関して、このプロセスの詳細やこのような情報が広告配信事業者に使用されないようにする方法については、こちらをクリックしてください。

当サイトが使用しているアクセス解析ツールについて

当サイトでは、Googleによるアクセス解析ツール「Googleアナリティクス」を利用しています。このGoogleアナリティクスはトラフィックデータの収集のためにCookieを使用しています。このトラフィックデータは匿名で収集されており、個人を特定するものではありません。この機能はCookieを無効にすることで収集を拒否することが出来ますので、お使いのブラウザの設定をご確認ください。この規約に関して、詳しくはこちら、またはこちらをクリックしてください。

 

初出掲載:2017年4月8日

今ここにある図書館

 今日も意味のない更新が続きます。頭からっぽのちんちん文章です。特に意味のない文字の羅列が自動的に生成されていきます。きっと読んでも何もよいことがないのですぐさまブラバするべきです。

 ところで近頃Java Update利用可能の通知がなんどもくるんですけどこれはどういうことでしょう。こんな短期間に何度もアップデートって行われるもんなんでしょうか。たぶんぼくが通知を無視しまくってたから何度も通知してくるのかなあと思います。穏当な結論ではありますが裏はとっていません。そんくらいをやる気力もないわけであります。わーい。

 ブックオフで買ったマンガが部屋に散乱しています。だいたい計うん万円くらいのマンガがほっぽりだされています。ちなみに1冊100円のものしか買っていないはずです。ブックオフでばかり本を買っていると本1冊とは100円であるみたいな認識になってきてまずいです。感覚を侵略されます。これがさらに進行すると100円1ブックオフみたいな認識になります。ぼくもなりました。これがよいことなのかわるいことなのかよくわかりません。まあ少なくともブックオフでしか本を買わないというのはなんかかっこわるいです。ブックオフにあるような本しかない本棚はなんというか悲惨です。他に周りによい古本屋さんなんてありませんしまともな図書館もありません。すると頼るべきはamazonですか。1冊1円+送料257円。安いですね。本を検索できてボタンひとつで買えてしまうのはやばいです。新刊なんて9割がうんこ本なのでamazon古本258円で十分な気がします。しかしブックオフに感覚を侵されたぼくはこのたった258円ですらうっとなってしまいます。でふれー! という感じです。だったらもう図書館使えという話です。図書館を開拓するのです。地域の図書館を利用しましょう。お取り寄せサービスとかもあるはずです。図書館行ってないなあ。行く気しないなあ。どうして行く気がしないのでしょう。あんまり期待はできないですが、一度行ってからでも遅くはないでしょう。図書館がいい感じであれば儲けものです。だめだったら今のままのごほん生活が続くだけですし。行くのはただです。図書館いいなあ。まともな図書館がある地域に引っ越すというのもありですね。図書館と古本屋という本のインフラが整った地域に住みたい。引っ越したいなあ。でもお金がないのでやめておきます。今はお金を貯めるフェーズです。土地を買ってだんぼーるはうすを建てるまでのしんぼうです。それさえできればあとはひゃっほうタイムです。一日中ごろごろして、寝たいだけ寝て、起きたい時に起きて、散歩して、本読んで、いんたーねっとして、遊んでくらすのです。ずっと遊んでいたいです。なにもしたくない。

 

 

 

これ以上何を失えばニュートンは許されるの

this.kiji.is

 タイトルはホッテントリメーカーからです。とくに意味はないです。

 

 ニュートンを初めて読んだのはたしか中学生のころでした。当時ぼくは図書委員会に入っていて、図書室に置いてあったニュートンをなんとなく手に取ってみたらすげえおもしろかった、という感じの出会い方です。

 もともとお数学が好きで、幼稚園児のころから2のべき乗を暗記してたりしてたいやなガキだったんですけども、んでそのきっかけというのがこれまたひじょうに頭のいい兄弟がおったからなんですけれども、まあ今はそれはおいておいて、ぼくのお数学に関する出会いとしてはニュートンは一つの転機として数えることができます。

 

34ページへの質問

ニュートンでおもしろかった記事はいろいろあるんですけれども、印象に残っているのを挙げてみますと、この話とか、あとはハウスドルフ次元の話になります。

2017/02/20 20:49

 

 むかし読んだ記事のなかで記憶に残ってるのは虚数とかマイナス×マイナス=マイナスとなる世界とかハウスドルフ次元とかの話です。とくにハウスドルフ次元には興奮しました。ちんちんは立ちませんでした。すうがくでしこしこできるほど僕は数学にのめりこむことはできませんでした。所詮は単なるあこがれにすぎなかったのです。ああまたこんなところにもwannabeが顔を出す。お股に顔をうずめたい。

 

 

 まあしかしつまるところはこういうことです。お金出してないくせに、なくなったら文句を言うとか、サイテーです。ぼくにどうこうゆえる権利とかないわけです。だからもしぼくがニュートンに言えることがあるとしたらそれはありがとうという言葉くらいしかないわけです。くっさ! くっさ! うるせえよわかってるよ! でもほんの少しでもぼくにお数学の夢を見させてくれたニュートンにはほんとうに感謝しています。

 

 というかなんでニュートンなのに数学の話ばっかしてるんでしょうか。いやたしかにニュートンには数学の話もちょくちょくありましたけれどもメインではないでしょう。宇宙の話とかも好きでしたよふつうに、いやほんと。あと地球の自然のお話とかもわりとやってましたよね。あれもすきです。吉野の記事とかよかったです。去年だけで3回行きました。あそこは本当にいいところです。

 

Newton(ニュートン) 2017年 03 月号 [雑誌]

Newton(ニュートン) 2017年 03 月号 [雑誌]

 

 

 

 

 

何も伝えられない

 日が長くなってきました。今は18:00くらいなんですけど、まだわりと明るいです。

 季節によって日が出ている時間が違うというのを実感したのは小学5年生くらいだったと記憶しています。遅いですね。当時の僕はよく友達の家に遊びに行っていて、町内を自転車で走り回っていました。その日の僕も、いつものように、ちょっとした山の上に住んでいるYくんの家に遊びに行っていました。遊びの内容は覚えてないですけど、帰り道、もうちょっとで裾野に出るくらいの場所で目にした空の薄暗さがやけに印象に残っています。漠然と感じた寂しさや不安、現実感のなさ、自分の意識が世界に向かって開いているという感覚。今でもときどきそれらがフラッシュバックします。いえ、フラッシュバックというよりかは、このような感覚は僕の精神にあらかじめ組み込まれていたもので、それが現れているだけというような感じです。何を言っているのか自分でもよくわかりません。自分の感じた感じをことばにできるようになりたいです。

 

 

 

 

人間たちから逃げて仮初の平穏を手に入れる

 http://mainichi.jp/articles/20170218/k00/00e/040/273000c

 

 読みました。けど記事にはあんまり関係ない話です。

 歴史ものコンテンツおもしろいですし、ぼくも世界史とかすきだったんですけど、あれらって、戦争をコンテンツ化し楽しんでいる面もあるかもしれないよなー、とか思いました。なんかよく知らないですけど、ポリティカル・コレクトネス的な観点からするとあんまりよくないのかなあとか思います、よく知らないですけど。もしかしたらたぶんすでにゆってる人たちいます。

 

 方々からの批判糾弾、それらに対する反論、泥沼の罵倒のしあいを見ていると疲れます。精神がきゅーっと音を立てているのがわかります。そういうときは人間から離れたいと感じます。

 対面だろうがいんたーねっとであろうが、そこに人間がいることには変わりないです。いんたーねっとはすきですしそれはつまり人間がすきということにも繋がっているはずなんです。でも、こういう場面を見たり、精神がまいってしまうと、人間のつながりなどない方がよいのではないかという気分になります。人間がつながってしまうからこういうことが起こるので、人間はつながらないほうがいい。そういう発想がぽんと出てきます。もちろんこれはとんでもなくばかな結論です。このような考えが自然に想起されるような状態はだめです。

 

 嫌なものは見ないようにする。実害のないところまで逃げる。一人になる。逃げて逃げて、平穏を手に入れる。でもそれは仮初の平穏でしかないです。生きている限りほんとうの平穏というものは手に入らないです。

 頭をぽやんぽやんにして、世界の認識をあいまいにして、何もせず、何も考えず、ぼんやりと過ごしています。それが本当の平穏ではないとうっすら感じつつ、あたたかい泥の中に意識をうずめるように生きながら、何もわからないまま死んでいきます。

 

 

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

 

 

 

憧れをいだいたまま、ちっとも成長できずに老いていく

 ヒトの遺伝子は自身を次世代に残すために環境に合わせて最適化されていきます。ヒトはそのように作られています。しかしそれはヒトの体の仕組みがそのようになっているというだけの話にすぎません。それは機能にすぎません。目的ではありません。ヒトは子孫を残すために生きているのではありません。

 じゃあなんのために生きているか。

 とくに目的はないです。正確にいうと、所与の目的はないです。生まれてきた理由は親がセックスしたからです。それ以上の理由はアプリオリには存在しません。生きる理由や生まれてきた理由をもっともらしく語る人は嘘つきです。

 しかしそのような人たちの中にも嘘つきでない人たちはいます。それは「本当は」生まれてきた理由などないと知りながらも「俺はこのために生まれてきたのだ」と「あえて」語る人です。そしてそれは、真実です。

 

 身も蓋もない現実を見据えつつ、本当のところはぜったいに知り得ないと知りつつ、自身の物語を打ち立てられる人に、ぼくは憧れるのですが、このような文章を書いているうちは、決して、そのような人にはなれないのだろうと思います。永遠のwannabeです。みっともないですね。

 

 

ライトノベル作家になる

ライトノベル作家になる